OMG best 腕時計 ever

仕事の節目であまりやることがない。先輩が戻るまで好きにしていいよと2時間の昼休みをもらい、近所をぶらぶらしていたところ、とんでもなくかわいい腕時計を発見する。

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か、かわいい…かわいい。
女ものなので自分で使うことはないし、ビンテージの手巻き式、癖のあるデザインという扱いづらさ。もらってくれる人が決まっていないにも関わらず、昼休みに即決で買ってしまった。この手の買い物をするときの感覚はまさしく「救出」という感じ。

 

その後は、タイミングが合っただけという珍しい組み合わせの友人たちで渋谷へ。2月に泊まった「呉」の発音を広島出身の女の子に訂正されて照れた。「梅」と同じ発音だそうです。素敵な友人に素敵な友人を紹介されるのはいいものだな。

自転車

週末に自転車で荒川を見にいくーー。

 

東京へ来て、いろんな人からいろんな鍵を手渡された。自分の借りた部屋の鍵、友人宅の鍵、会社に出入りする鍵、恋人の部屋の鍵。キーホルダーに下がった束はどれも自分のものではなく、その時が来たら誰かに返すものばかりだけど、自転車の鍵だけは自分のものだということに思い至って嬉しくなった。借りたものを全部返しても、自転車に乗ってどこかへ行くことはできるわけだ。

 

週末に自転車で荒川を見にいく、というよく分からない予定に人を誘ったのは、このよく分からない感慨のせいだ。「帰るとこなんかより行くとこの有る無しが大事だよ」と話すマルメラードフにいたく共感したのは、18歳の時だった。世界中どこであっても、自転車に乗るのはある種の定点観測なのです。

春の色

今の仕事を始めたばかりの頃。歌会の生徒さんに、白桃緑ひしもちカラーの茶菓子を「桃日和です」と言って出したら、

 

「この時期、きっとこれが残り雪、これが桃の花、これが若葉よねえ。もう春やねえ」

 

と返ってきた。見慣れた色の取り合わせながら、その意図を考えることのなかった自分にはじんと響いた。こういうことに自然と気付けるのが余裕なんだろうな。今日もその生徒さんの詠んだ歌が音になるのを聞きながら、月並みにこの仕事を通して得たものの多さに感じ入っていた。


その後は鴨川デルタでピクニック(?)を…。
友人とサンドイッチと若葉が、図らずもひしもちカラーになっていることを確認して思わず笑ってしまった。

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春の訪れを告げる色!!月並みに京都を去るのが寂しいと感じる日々だ

 

 

ララランドと隕石

平野啓一郎『マチネの終わりに』に巻かれた「結婚した人は人生最愛の人ですか?」という帯を見るたび書店でイライラしている。

 

理由を自分の中に探っていくと、大抵の人は誰かにフラれたことがあり、その後に別の人と結婚するものだし、目の前の相手が最愛の人かどうかそう簡単に決められるものじゃないでしょ、という無粋さへの苛立ちがある。そして、仮に最愛の人ではないかも知れない、最初は消極的な選択肢として選び取った人だったとして、そういう人間の選択には、馬鹿にできない切実さがあると思っている。

 

これが何の話かというと昨日見たララランドの感想です。お互いがお互いの存在を胸に隠しながら、別の分岐を生きること。すでに自分と馴染んだものを再び選び直すこと。ララランドの美点は、そういう人間の営みを最後の数分で美しく描いたところで、劇場を出ても「ありえたかもしれない」無数の分岐と共に歩き続ける観客にエールを送る。

 

感想をつらつら書いてて感じるのは、この手のヒューマニズムは、

①観客ではなく製作者目線の
②批評的審美眼のある
③固有名詞に目ざとい


等のありがたがられる感想から一番遠いところにある素朴なもので、人に言うのは恥ずかしいなということ。もうほどほどにするけど、個人的には、この作品の挙げ出すとキリがない断点ーーこれほんとにジャズか?2人の目指してる成功は虚構じゃない?黒人の使われ方がtypicalすぎない?みたいなのはほとんど逆手に取ってしまえる、ずるくてうまい作りだと思います。いいもん観た〜。

 

そのあとは祇園四条の石屋で恋人のアクセサリーを一緒に選んだ。宝石店ではなく石屋としてのアイデンティティがあるところ、二階に洒落たカフェがあるところ、店員が本を片手に石の成因を教えてくれるところ等々、美点の多い店でした。あれこれ悩んだ結果、宝石ではなく隕石に決まり、2800万年前の隕石でできた首飾りを手から提げて次の予定へ急ぐことに。通行人に「隕石ぶつけちゃってすみません」を二人でひそひそ言い合って、笑いを嚙み殺しながら四条通りを走り抜けた。